今日はかみさんと東京界隈を散歩。
エキナカの持ち帰りはかなり喜ばれた。
東京駅は朝の地震の影響で
新幹線改札口周りには人がいっぱい。
でも間引きながら即座に運転を再会、
明日には通常運転に持っていこうとしている
JRはやはりすごい組織だと思う。
昨年の大阪出張の時、未明に関東を直撃した
台風の影響で運転を見合わせていた新幹線。
徐行運転ながら降水量で懸念されていた
小田原付近を通過してきた上り新幹線の連絡で
下り新幹線の運転を開始する連携。
たすきをつなぐ駅伝の心というのか、
組織で顧客の望みをつなぐ姿を目の当たりにすると
ちょっと目頭が熱くなってしまったのを思い出した。
でこの夏休み思い立って一冊の本を読み始めてます。
ニッポン鉄道遺産。
別に私自身はいわゆる「テツ」では無いのですが
子供の頃から何故か時刻表を眺め思いを馳せるのは
かなり好きでした。
子供の頃には父親の出身の京都で盆と正月を過ごし
新幹線のビュッフェや食堂車の記憶も鮮やか。
夕方の東海道線ホームにひっきりなしに入線する
EF65のブルートレインはやっぱり憧れ。
仙台の親戚のところに向かう祖母を見送った
櫛歯型の上野駅のプラットフォームの
東京と全く違う雰囲気も子供心に感じてました。
全てが新幹線でつながり、旅の手段ではなく
移動手段として活躍してくれている現在のJR。
何となく物足りない感じを受けるところのすべてが
この一冊に凝縮されている感じの本。
一つ一つの章を読みながら、
一つ一つの情景が何となく思い浮かんで
読みながらも涙が出そうになってきます。
「鉄道は国家なり」と明治に広がった鉄道網は
高度経済成長の果てに自動車や飛行機に役目を引き渡し
日本国中に張り巡らされたレールも民営化以降
どんどん減っている。
が、本当に21世紀の地球環境との共存の視点から
果たして今辿っている道に疑問を感じることもある。
駅というのは「どんな人でも自由に出入り出来る、初めての民主的な公共の建物」(ニッポン鉄道遺産、木造駅舎より引用)という一文。
個人重視のもと、自家用車が普及し社会の横のつながりもいつの間にか希薄になってしまった。民主主義ではなく、行き過ぎた個人主義。昔の鉄道にあって今の鉄道に希薄になってしまったものが、社会の縮図にもなっていたことを再認識。
形だけでなく、志を残す、
いや伝えていく手段としてこの本は大切だなぁ
なんてついつい噛み締めてしまった。
最近のコメント