2010年2月13日 (土)

宇高連絡船

今朝のニュースでみた3月での幕引き
YOMIURI ONLINEの記事

大学2年終りの四国合宿の時、
自転車を持って乗ったのを覚えている。
高松駅に朝着いて湯気立ち上る
駅の中の立ち食い讃岐うどんが
ものすごく美味しかった。

大量輸送のターミナル故醸し出される
何とも言えない人を感じる空間。
昔の国鉄の駅にはそんな雰囲気が満ちていた気がする。

今回の廃止は高速料金値下げの影響とのこと。
何故高速料金なのだろうか。
何故もっと多くの人にメリットを提供出来る
移動体に対する還元を考えないのだろうか。
自動車という個人に帰属するものにメリットがあるように見せる事で、自動車税とガソリン税の上がりを存続させようという事なのかなぁ。

都市部に集中する人を郊外、地方都市に移動させ、
地方経済の発展を促したいという事であれば
なおさら公共交通機関への施策が有効だと思うのだが。

かつて自分が小学校の頃、
夜寝る前に布団の中で眺めた時刻表には
日本地図を描けるくらいの国鉄の路線網があった。
分割民営化の果てに、消えていったローカル線。

築き上げるのに必要な労力と時間はものすごいが、
失うときは一瞬、もちろん持ち続ける事の大変さと
失う事で得られるもののどちらをとるべきか
今で判断は出来ない気がする。

とはいえ環境保全が生活に占める割合が高まる昨今、
あの鉄道網を有効に使う方策を
もっと考えても良かったのではと思ってしまう。
道路も補修は必要だろうが、
鉄路は周辺含めての補修整備が必要。
逆に言うとそこに根差す社会を同時にもたらす。
あの鉄道網は命を大きく日本中に拡げる事に
なっていたのではないか。

消えていく大量輸送のインフラ達。
政策的に大量輸送を見切る施策をとり
個人移動体の国家運営を目指しているのだろうか。
ならばまさに今、国外を発端に自動車産業に
降り掛かっている火の粉を
この国はいかように振り払おうとしているのだろう。

もの作りそのものの基盤を揺るがしかねないので
ちょっと先行きは心配です。

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2010年2月 7日 (日)

朝青龍引退とプリウスのブレーキに思う

この週末のニュースバラエティは
朝青龍の引退とトヨタの話が盛りだくさん。

朝青龍の相撲は正直好きではなかった。
土俵上での派手なパフォーマンス云々もあるが
「残心」の欠落という感じを自分は強く受けた。

勝てばそれで良い

だけではないのが自分にとっての相撲であり
多くの日本の武道だと思っていた。
子供の頃に記憶に残っている横綱の相撲は
勝ち負けが付いたところで
気を抜かずに力を抜く相撲だった気がする。
かつての横綱達は
(一部問題のある方もいましたけど...)
横綱に登るまでに、
横綱となって場所を重ねる毎に
そのような一番を取るようになっていった気がする。

勝ち負けに現れない、
文字や画面に反映しづらいもの
そういう一面が朝青龍の相撲には見れなかった
様な気がして、好きになれなかったのだろう。

マスコミも勝ち負けなど書き易い尺度でのみ
報道することになるので、
関取側もそれさえ良ければいいになるのかも。
書きづらい尺度を共有出来るように
絶妙な表現を生み出すのが文学の進歩だろう。
文学というと昔を懐古する事と思っていたが
今の複雑な世の中を多様な媒体の下で
適切に表現し残すことが出来るのは
やはり文学でありそれに基づく多様な表現だと思う。

朝青龍を育てられなかったという事は
おそらく日本人の文化、文学、国語の崩壊の
現れなのではないだろうか。

そのような文字にしづらいものを
落とし込めなかったことで苦労しているのが
多分プリウスだろう。
おそらく数値の上の効きとしては問題ないが、
(とおもう。少なくとも型式認証を得る上では)
ブレーキをかけたときの文字に出来ない
「感覚」の違和感、不安感を
デジタルな制御に落とし込むことが出来ず
無償修理という結果になったのかも。

おそらく技術者達はもう一歩踏み込んで
物理量の変化と感覚のつながりを読み解き
有るべき制御方法を見つけるに違いない。
エンジニアにも文学的表現が求められる
という事なのだろう。

少なくともこちらの方が、簡単そうな問題。
日本を治療する事に較べれば。

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2009年10月26日 (月)

無音、無表情

今日のニュースで、
ハイブリッド車に疑似エンジン音を義務づけるとの事。

きっと変な音が街中に溢れるんだろうなぁ。
どうせ耐久性があるスピーカーとかと言うと
中音域が強調されたものになって、
なんとか風エンジン音とかっていうのが
溢れるのかと思うとちょっとうんざり。

最近の着メロしかり、音源を頑張っても
再生装置の限界で聞き苦しい音に溢れてしまう。

街中で静かにクルマが走るのが迷惑(?)というのが
きっかけなのだろうけど、街中は静かに走るに越した事はない。

そもそも日本の交通社会不整備、
都市計画の稚拙さが原因だと思うんですけどね。

商店街とか住宅地の中を一般の交通が
突っ切ってしまうような道路設計が
残念ながら日本の現状。

幹線道路と生活道路が分離されていて、
生活道路は完全にゆっくりしか走れないようにする、
生活道路は歩行者と近接するが、
幹線道路は歩行者とクルマが完全に分離されている、
そういう交通環境の整備がなされていれば、
静かなハイブリッド車が静かに走っても
何ら問題ないと思うんですけどね。

へんてこりんな音に溢れる前に、
道路環境を整備して欲しいなぁ。

ところで、音つながりですが、
ちょっとサニトラ用にとクリックしてしまいました。

今日発送されているようです。( ̄ー ̄)ニヤリ

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2008年12月19日 (金)

モータースポーツ

スバルがWRCから撤退。
森社長の記者会見での涙は
量産車メーカーの中でも
ちょっとひと味違うスバルを象徴したかも。

ニュースで見ながらこちらもちょっとジーンとしたりして。

ホンダもF1から撤退、
やはり先立つもの無ければ致し方無しか。

とはいうものの、最近のモータスポーツが
興行という性格が強くなり過ぎたせいもあるかも。

一歩先の技術を競ってしのぎを削るという時代はもう過去か。
スピードそのものがまだまだ開拓の余地があった時代から
人がコントロール出来る限界に達している今、
(というか限界を時々上回って規制をかけているのか)
同じ「速さ」という価値観だけを追い求めることも
限界に来ているのではないだろうか。

速さを操ることも競うのに、機械に頼ってスピードを出す。
公道上の技術進化がサーキットでの開発と平行し、
要求のレベルやベクトルが両方で異なるとなると、
量産車メーカーはモータースポーツのための開発になってしまう。
そうなると何らかのきっかけで撤退になりますねぇ。

環境を振返らなければならない今だからこそ、
出来るモータースポーツも有ると思うのですが。
エコランも極限の低燃費を狙うものですが、
速く自由に移動出来る移動手段のクルマとは
ちょっとかけ離れている。

F1の様なスピード、WRCのように自由に操れる乗り物、
しかしエコランのように限られた燃料で決められた距離を
走り抜かないとならない。

それらを成立させるようなモータースポーツに
生まれ変わる様求められているのではないかと思います。

これは市場の多くが求める技術そのものを競うことになりながら
スピードとコントロールという旧来のクルマの楽しみも
残すことが出来るのではないかな。

本気で技術開発すると結構面白いレーサーが出来るんじゃないかな。
そもそもスポーツカーって軽くて限られた燃料を
効率よく燃やして動力を絞り出す点では
そういう資質を持っているんでしょうけどね。
もう一息燃費のレギュレーションを
競技になるようなきついものにすると
かなり技術的には挑戦しがいが出るのでは。

そんなレーサーレプリカだったら乗ってみたいかも。

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2008年9月14日 (日)

走行中の携帯電話と事故米

先週朝、通勤時に見た光景。
朝の交通量の多い厚木市内の交差点、
対向車線のクルマが止まったままで、楽に右折出来た。
また疲れたドライバーが交差点で寝ちゃったのかなぁ
とよく見てみると、年配のドライバーが車線の真ん中で
ハザードを点けて携帯電話でお話中。
おかげでその後ろは長蛇の列。

今日バイクでちょっと出かけたときにも愛川町で、
なだらかで大きなカーブの中程あたり
対向車線脇にハザード点けて止まってる軽自動車。
中ではこれまたご年配のおばさまが
片手を思いっきり振りながら大きな口を開けて
携帯電話相手に熱の入った会話(をしているようだった)。
交通量少ないけど、停車位置はもう少し考えた方がよさそう。

確かに運転中に携帯電話を手に保持しての通話や操作は
危険ですし、道路交通法での規制対象です。
だからといって交通の妨げになったり、
事故を誘発するような場所に停めれば
通話していいというのは本末転倒でしょう。

確かに実際法規制されて、見つかったときに取り締まりを
行われるのは運転中に携帯を持って
通話をしていることでしょうけど
前提には周りに迷惑をかけない交通社会の一員として
交通の流れを妨げないということが無いとならないかと。

モラルよりも法が優先されてしまう、というか目に見えて扱い易い判定だけが取り上げられてしまい、その背景となる目に見えない本質と異なる方向に行ってしまう今の社会の悪さが出てしまっている様な気がしました。
みんなまじめそうなご年配の方々でしたから。

話はちょっとずれますが、
先週のニュース番組かなんかで
事故米の汚染具合に関する話が有りました。
規制値自体は他の野菜などに較べると遥かに低く、
今回の検出値自体は短期暴露で何かが起こる濃度を
遥かに下回るとのこと。

もちろん長期にわたって、少しずつ接種した場合の
リスクを考えた情報なのかどうかは言っていなかったので
今のままでいいというわけでは有りませんが。

とにかく耳障りとインパクトからやたら
「規制値の2倍のメタミドホスが検出された」とか
報道するのはただ恐怖心、不安をあおっているだけに思える。

それよりなんで国内に多くの休耕田を抱えながら、
海外から税金をはたいて米を買わないといけないのかとか
(製造業で働いている身としては首を絞める話ですけど...)
なんでそんな米までを取引しないとならなくなるような
業者が生まれてしまうのかとか裏に隠れている
本質的な問題をマスコミには突いて欲しい気がします。

農業協同組合といいつつ単なる一金融機関になって
本来の農業の生産力とか効率化とかをおろそかにしている
農協の問題をWEDGEがつついていたのが先月、
でもその問題を30年も前に漫画家の矢口高雄が
「かつみ」という作品の中で指摘していた。
読むならそういう漫画を麻生さんには読んでもらいたいですね。

と話がまた発散してしまいました。
連休でちょっと時間があると
余計なことばかり考えちゃうから良くないなぁ。

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2008年9月13日 (土)

科学は人を幸せにしているか

実は一度ネタにしようとした大相撲大麻疑惑。
一瞬出した所でロスで吸った報道が出て、
残念やっぱりそうだったのかと取り下げた。

けど、露鵬と白露山はあくまでも吸っていない、
闘うと公園で会見を行った。

国技で有りながらやはり体格の差なのか
外国人力士に席巻されている相撲。
何となくその辺をどうにかしたい協会内部対立も
今回の問題の根底に有るような気がする。

露鵬と白露山の大麻吸引を断定している検査結果だが、
もう時間が経ってしまっているので再検査も出来ないだろうけど
1サンプルでの絶対値評価で断定できる評価法なのかな?
何を検出するものでどのような判定値に対する評価で
判断しているのか知らないので何とも言えないけど
判定値の5〜10倍が値が出ていると
慶応大学の先生が言ってたような気がする。

人間の身体からの代謝物なんで、万人を一つの値で
判定出来るものが有るというのはちょっと信じがたい。
そのばらつきを人種や年齢ありとあらゆる因子を振った
調査の結果作った判定値の上限値として確立したもの
ならば別だけど。

必要に応じて露鵬や白露山の薬無し時の標準値をきちんと測るとか
数日に渡った測定で明らかに測定値が減衰してく様を見て
相対的にやっぱり多かったじゃんという結論を出せば
ぐぅの音も出なくなると思うのだが。

そもそも今回の検査自体を詳しく報道する新聞や
ニュースが無いのはなぜなのだろう?
そこを疑う報道機関が有っても良いと思うのだが。
個人的には測定法が他の物も検出する可能性が無いのかとか
測定対象物の日内変動をきちんと管理出来たサンプリングだったのかとか
判定値は露鵬や白露山にもそのまま適用していい物なのか
とかがすごく気になる。

何か別の話を通すために、分析結果の数字だけを利用したとすると
それは科学に対する冒涜だと思う。
そしてそれを隠したまま報道しているとすると
それはマスコミの存在意義自体を脅かすものにもなると思うのは
考え過ぎ?

顔を出して「吸っていない」と言う露鵬と白露山と
顔を出さずに「親方には内緒だけどロスで吸ったと言っていた」という
協会関係者とどちらを信じるかと言われると
私は露鵬と白露山を信じたい。

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2008年8月25日 (月)

自動車税見直し?

今日のニュースで経産省が自動車税をCO2排出量基準で
見直すことを検討中とのこと。
ニュースはこちら

これにより小型車も軽自動車もCO2排出量ベースで税率が変わるとのことで
軽は税負担が多くなるので反発もあるのではないかということ。

いわゆる自動車税はその自動車そのものにかかるものなので
クルマからのCO2排出量というよりは、
例えば自動車を作るのにかかったCO2排出量として部品の数や
部品の大きさみたいなもので決める方が納得いくんじゃないかな?
そうすれば実用性のみを求めた質素なクルマは税負担軽くなるし。

直接のCO2排出に関係する税金は消費する
ガソリンや軽油の燃料費にかけてしまえばいいのに。
使って排出してしまった分を税として自動徴収。
国としてのCO2削減活動として植林や森林の整備、
代替エネルギーの研究開発への予算へと回す。

道路への負荷は重量税ということで、それは道路の整備にまわすと。

CO2では測りきれない贅沢料みたいなものは、
消費税で徴収すれば良いんだし。

とにかくクルマにはいろんな税金がかかるけど、
納得がいく形での徴収にしてもらいたい気はしますねぇ。
いつの間にか変な形で使われるのだけは勘弁してもらいたいですね。

なんてブログの片隅で書いていても始まらないんでしょうけど。

というあきらめがいけないのか...?

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