自動化って
今日はウェブ記事への徒然を。
うちの車たちにはABSも付いてはいないのですが...。
ABSって時事刻々と変わる路面状況とタイヤのグリップ状況をタイヤのロック状況を瞬時に判断して、ロックを判断したら油圧を緩めて、グリップしたら再びかけてというのを繰り返す。
それにより減速しながらの操舵入力に対する車の応答は確保するというもの。
どこまでタイヤのロックを残すかというのがメーカーの腕の見せ所だし、多分そこをある程度操作できる人にとっては下手なABSの介入が邪魔になる場合もあるのかもしれない。
ブレーキそのものは油圧を伝えて回転物を止めるものだが、人間は車を止めたい。
回転物が路面に減速力を伝えられることで初めて車は減速できるが、ブレーキそのものは路面を認知していなかったことを補うのがABSなのでしょうね。
このように機械ができることがユーザーの最終目的と異なることを機械同士の連携や制御装置を介在させて繋ぐ自動化は、キャブレータの複雑な流路設計やエンジンの点火システムの進角調整の自動化があるのでしょうね。
両方とも機構の複雑化を単純なデバイスの複雑な制御に置き換えられていってますが。
この運転支援システムというのはどのような自動なのだろう。
人間の認知・判断・操作、というものを置き換えようとするものなので、正常に認知・判断・操作できない状況に介在して車を安全に運用させるものなのかな。
さらに自動運転というやつは人間が逆に介在者になるものでしょうか。
自動化されるのは機械ではなく人間なので、一昔前の自動とは大きく異なるのでしょうね。
この自動化はオートマチックミッションとかアクセルバイワイヤーで既に数十年前から実は少しずつ人前には現れていて、少しずつ人間側を飼い慣らしていたのかもしれない。
なので私自身はオートマチックに乗ると、そのオートマチックがどうシフトを変えていくのか、その特性に気を遣わないと気持ちよく運転できないので、どうやっても理解できない好きになれない車と理解できる好きになれる車が出るのでしょうか。
同様にスロットルへの付き、エンジンを操作している実感が感じられないとちょっと馴染めない。
もしかしたら欧州車ってこの車に飼い慣らされるではなく、車はやはり人間が飼うものという感覚で操作するところのリニアな感じが残り続けているので、わかる人はどんどん欧州車を選んでしまっているのかもしれない、なんて思ってしまった。
いつまでも「自」分で「動」かす「車」に乗りたい。
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