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2007年1月20日 (土)

いつもの道を歩いてみれば

相模川の向こうのバイク屋にバイクを預け、
帰り道はいつもの通勤ルートの一部を歩いてみた。

Dscn1324 厚木側ではどんどん圏央道の建設進行中。
車で走るとすごく便利になってきたなと思った
R246からの流出、合流車線。

いざ歩行者となって歩いてみると芸術的なスロープはものすごい大回り。
まぁこれは産業幹線道路におまけでついている歩道故仕方ないことか。

とにかく日本は都市無計画な国。
昨今芸能人の子供が交通事故で死亡したことが取り上げられているけど
通学路で子供が歩くところに巨大なトラックが日常のように走り回る
無計画な交通がそもそも原因じゃないかとつくづく思う。
ものの流れ、人の流れを無視して居住地区と産業地区が入り組んだ結果。

先週出張で昼前の環状8号線を用賀付近から高井戸付近まで走った。
時速十数キロ。これを日常のように繰り返し耐えている
トラックドライバーや営業マンの方々にはつくづく敬服する。
この交通のおかげでどれだけの石油資源と人的資源が浪費されているか、
それが国家の損失だと気づいているのだろうか。この国は。
それともゆとり教育と並ぶ愚民化政策の一環か?

規制緩和の美辞麗句の下、無駄な自由(?)競争に国民をさらし、
知的財産の浪費を促しているのが携帯電話会社の競争だろうか。
限られた収入で如何に効率よく生活していくか。
当然の欲求を解消するのに、必要以上の情報整理を
強いられていると思うのはもう歳を取ってしまった証なのか。

閑話休題。

どんより曇った冬の空の下、
翼を大きく広げて川面をなでるように飛ぶ鷺の姿を眺め、
青く黒くとうとうと流れる相模川を渡ると色々と考えてしまう。
いつも車で一瞬で走り抜けてしまう橋をじっくりと渡ってみると、
こんなに立体的な空間に生活していたことを感じる。
乗用車は整備された道路という二次元を走っていたのかと。
遥か下の河原への距離感が麻痺している自分が怖かった。

産業道路と居住空間を隔てる防音壁の車道側に椿の垣。
Dscn1325
中に一本だけ白い花をつけていた。
ささやかな周りの赤が白さを際立てている。

ほとんど人通りの無い幹線道路の歩道。
Dscn1326 人がいないことは鳥にとってはむしろ極楽か。
車の往来は絶えないものの、椿の蜜をついばむ
メジロは数多く。
突然の人通りとなった自分に驚くも垣の中に潜り込む。

これからもう一段冷え込むことはあるかと思いますが、
070120_154653_1 もけもけの毛皮に包まれた木の芽は少しずつ大きくなり、
春の到来をもう数え始めてました。

ちょっと歩いてみただけで、かなり脳の活性化が出来たかも。なんてね。

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